平成21年(2009年)青柏祭解説


 写真集     使用カメラ:SANYO VPC-T700

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4月26日撮影
  ・飾り制作風景

4月29日撮影
  ・飾り制作風景

5月03日撮影
  ・飾り制作風景その1

  ・飾り制作風景その2

  ・宵山

5月04日撮影
  ・本山

5月05日、06日撮影
  ・裏山




 出し物紹介 

鍛冶町
 蜘蛛巣城 森達矢 (くものすじょう もりより いたるや)
<人形>- 鷲津 武時
     - 浅茅
     - 都築 国丸


 2009年秋、仲代達矢主演「マクベス」が能登演劇堂で上演される。この作品を戦国時代に移し、原作の雰囲気を再現したのが黒沢明の「蜘蛛巣城」である。
 蜘蛛巣城城主国春は北の舘の謀反で苦境に陥ったが、武時と義明の活躍で形勢が逆転した。国春の元へ急ぐ二人は奇妙な老婆から、武時は北の舘の主を経て城主に、義明は一の砦の大将に、その子義照は城主になると予言され、その通りに任じられた。国春が予言を知ればあなたを殺す、その前に主君を殺せと妻の浅茅に迫られ、武時の心が揺れた時、国春が隣国の乾を攻めると北の舘に来る。浅茅は痺れ薬の酒を兵に飲ませ、武時は国春を槍で刺す。国春の嫡男国丸と臣下の則安は山へ逃れ、武時は城主になった。
 彼は主君暗殺の罪の意識に苛まれながらも浅茅が懐妊すると今度は義明親子に刺客を送った。義明の子義照は逃れた。浅茅が死産した嵐の夜、国丸を奉じた則安と義照を先頭に乾の軍勢が蜘蛛巣城を攻める。愛想を尽かした味方の矢に倒れた武時はマクベス。猜疑心と欲望の悲劇である。


−魚町−
 三十三間堂棟木由来 木遣り音頭の場 (さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい きやりおんどのば)
<人形>- 進之蔵人家貞
     - 横曽根平太郎 緑丸
     - 平 忠盛



 父の仇を求めて熊野権現に通う平太郎は鷹狩の鷹の足緒が柳の枝に引っ掛かり、木を切ろうとしているのを見て、一矢で鷹の足緒を射切って柳の木を助け、茶店のお柳のもてなしを受けた。そこへ熊野参籠帰りの白川法皇、平忠盛らが悪漢に襲われ、平太郎とお柳が法皇を助けた。二人が夫婦になり、息子の緑丸が五歳になった時、都から家貞が来る。白川法皇の頭痛を治すために柳を伐って棟木にし、三十三間堂を建てよという熊野権現のお告げがあり、堂は法皇の頭痛の原因である蓮華法坊の髑髏を納める建物だと言う。お柳は別れの時を悟り、平太郎に助けられた柳の精だったと打ち明け、緑丸を託して姿を消すが、再び髑髏を持って現れ、法皇に渡して手柄にするようにと預ける。彼は緑丸を連れて柳の木に向かう。切り倒された柳の大木は街道筋まで運ばれたが、突然動きが止まった。駆けつけた平太郎らは柳が別れを惜しんでいると察し、木遣り音頭を唄う。泣きながら緑丸が綱を曳くと柳は動き出す。三十三間堂棟木伝説を劇化した作品だが、夫婦、親子の情愛が心に染み入る。


−府中町−
 等伯・楓図、秀吉に拝謁の場 (とうはく かえでず ひでよしにはいえつのば)
<人形>- 長谷川等伯
     - 太閤殿下
     - 淀君



 七尾市出身の等伯が五十一歳で大徳寺の天井図と柱絵を描き、翌年仙洞御所障壁画の仕事が決まりかけた時、狩野派の圧力で阻止された。彼は憤ったがその後すぐに狩野派の長永徳が死亡する。そして翌年三歳で亡くなった秀吉の嫡子鶴松の菩提寺祥雲寺の客殿を飾る障壁画の仕事を依頼された。今度は逆に狩野派が等伯率いる長谷川派に「京都第一の寺」と言われる祥雲寺障壁画(現智積院)をとられ、激しく憤った。等伯は金碧障壁画でありながら、狩野派にない抒情的な自然表現を試み、この仕事で名実共に狩野派に対抗するまでになったのである。
 この舞台は祥雲寺落慶法要に等伯が秀吉と淀の方に拝謁した晴れの場だが、等伯の心は悲しみに閉ざされていた。この障壁画(楓図など)完成の前年に彼の理解者だった千利休が自刃したからである。そして完成の翌年、彼の片腕だった息子の久蔵も二十六歳で逝った。この悲しさを背負って描いたのが名作「松林図屏風」である。



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