平成12年(2000年)青柏祭解説
 製作風景写真集(345kBytes) 
 4月29日撮影

 出し物紹介

府中町
  伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
人形− 仁木弾正(にきだんじょう)
    細川勝元
    渡邊外記(わたなべがいきょう)


 この作品は伊達家のお家騒動を脚色した歌舞伎の人気狂言。
 足利頼兼が吉原の高尾に溺れて隠居した後、執権、弾正らの毒手から若君、鶴千代の命を守るために乳人(めのと)、政岡は自ら飯を炊いて若君に供し、万全を期している。
 弾正に味方する管領山名宗全の妻栄御前が、見舞いに来て菓子を勧める。政岡は「若君病身」と断るが、栄御前と弾正の妹の八汐(やしお)は引き下がらない。危機を感じた政岡の子、千松が咄嗟に出て菓子を食べたが、案の定毒に当たって苦悶。八汐は毒害の陰謀を隠すため、無礼者として千松をなぶり殺しにする。政岡はじっと耐える。
 その様子を見ていた栄御前は、政岡が我が子を若君に仕立てていると錯覚し、一味の連判状を渡して帰る。政岡は千松の死が国を救ったと泣き、八汐を討ったが、連判状は弾正に奪い返される。
 外記はこの企みを訴える。だが、完全の片手落ちの裁きで敗れる。そこへこの騒動を知った幕府の勝元が現れ、弾正を厳しく詰問し、悪事を暴いて行く。追いつめられた弾正は外記に斬りつけるが、討ち取られる。勝元の計らいで鶴千代が奥州領主となった。

 府中町デカ山写真集(205kBytes) 

−鍛冶町−
 義経千本櫻
人形− 源 義経
    静 御前
    佐藤 忠信

 この作品は「忠臣蔵」「菅原」と共に三大名作の一つで、物語が段毎に集結する。
 この段は義経の家来忠信と狐の忠信が登場して、メルヘン的な劇世界を創造する名場面である。
 頼朝の怒りを受けた義経は、静御前に初音の鼓を与え、忠信に彼女の守護を頼んで流浪の旅に出た。その後、義経がかくまわれている川連法眼舘(かわずらほうげんやかた)へ忠信が訪ねてくる。義経は守護を頼んだ静御前の安否を問うが、忠信は静御前の守護は依頼されていないと返答する。
 そこへ忠信を伴って静御前が到着する。だが忠信の姿が消えている。不審に思う義経に静御前は初音の鼓を打った。と、忠信が現れ、「私は鼓の皮になった狐の子で、親を慕い、忠信に化けて鼓に寄り添い、静御前を守護してきた」と語る。
 義経は子狐の親を思う心に感心し、初音の鼓を与える。子狐はお礼に横川覚範が悪僧達を率いて今夜、舘を襲うことを告げ、狐の通力で彼らを翻弄した末、鼓を抱いて故郷の山に帰る。
 次の段は、覚範が忠信の兄の敵と義経が知り、忠信に仇討ちを命じ、忠信は桜の花満開の吉野で、覚範を討ち、兄の恨みをはらす。

 鍛冶町デカ山写真集(98kBytes) 

−魚町−
 前田利家小丸山城入場の場
人形− 前田利家
    お松の方
    長連龍(ちょうつらたつ)

 1577年、七尾城は上杉謙信によって落城し、4年後、利家は信長から能登国を与えられ、小丸山に城を築いた。越前では3万3千石だった利家は、23万石の能登に大きな夢を描き、小丸山城に入ったに違いない。時に利家、43歳の働き盛り。12歳で利家に嫁いだお松の方は、豊頬・貞淑な容姿で34歳。
 連龍は落城の時、信長に助けを求めて不在。落城を知ったのは信長の家臣、秀吉、勝家、利長らの4万の援軍と共に七尾へ向かった途中の加賀水島。更に兄始め一族のさらし首を倉部浜(石川郡)で見て悔し涙を流した。それから4年後、七尾城は信長に城を明け渡し、連龍は謙信方についた温井景隆、遊佐続光(ゆさつぐみつ)らを討った。連龍の胸にこの日去来した思いは何か。
 小丸山城築城の時、利家は「農民達が農作業を始める前に、5日間雇って城造りの手伝いをさせよ」とお触れを出し、農民の生活に気を使っている。
 七尾の歴史に寄せる市民の愛惜が作り出した舞台である。

 魚町デカ山写真集(521kBytes) 
 魚町デカ山制作風景(518kBytes)  22/04/2001掲載

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