制作風景(人形&飾り)        魚町&府中町 17/Apr/2005

 これは2003年鍛治町の”仁木弾正”であろうか。あの時の腕の上がり具合は惚れ惚れした記憶がある。今年はこの人形を利用する。
 これがどれくらい変化するのかはわからない。当然だがこの時点で「これは誰?」と尋ねても、答えから姿は想像できない。

 今年は牛若丸が腕を上げる予定であることがわかった。


 こちらは魚町伊勢三郎義盛であろうか。この時点ではなんとも言えないが雰囲気はなんとなく。。。

 腕の振りや足の位置など気に入った風に固定できなければならない。
 年月を経た人形は中身の藁が緩んでいるせいなのか固定しにくくなる。
 そうなると縛りなおしだ。

 


 何気なく見つけた首を撮ってみた。
 この首が使われるのかどうかはわからないが、これが昼間でよかった。夜なら驚いてただろうなぁ。


 正面を向かせてみた。なんともいえない表情。歌舞伎の舞台でもこんな風なのだろうな。


 府中町印鑰神社境内での作業。
 今年から魚町では作業するスペースが少ないとのことで、ここでの作業が圧倒的に多かった。

 石垣は例年のとおりだけど簡単だとは思えない。手がければ少しずつでも覚えるだろうが独特の風情を出すには”心”が必要だろう。


 寝かせて塗ればいいのだが、形がそうはさせてくれないケースもある。慎重に気を配りながら模様をつける。

 木材に紙を貼り付けてから色をつけるケースが圧倒的に多いが、前の年に雨に遭っていると再利用は難しい。少しでも妙な部分があれば、ほとんど塗りなおし。

 これは須磨の海か。
 熊谷直実が我が子の首を義経に捧げる、何とも悲しい物語の一場面。
 場を盛り上げる背景も気を抜けない。それほど重要であると認識して色を振る。

 各飾りの位置も確認しながら、色あわせにも気を配る。この日は微妙な位置取りも同時に行っている。
 ひとつずつ見れば小さなパーツかも知れないが、どれも重要な役割を担う。

 毎年恒例府中町の地山を印鑰神社境内から見る。このアングルが本当に好きだな。鳥居と地山がマッチしている。
 このデカ山は地山の段階から動きたくてうずうずしている感じがしてならないのだ。

 
 

 作業中の人たちをズームしてみる。
 こうやってデカ山が作りあげられる。どの役割も大切であることがよくわかる。



 

 さあ大詰め。
 位置も合わせて仕上げにかかる。



 

 



 

 遠くから、あるいは下から眺めると見えにくい場所も、近くで見るとこのように細かな細工。

 伝統芸を感じる。